読んだ本のまとめ 

アクセスカウンタ

zoom RSS 「心の時代に」モノを売る方法 小阪 裕司

<<   作成日時 : 2017/03/01 23:24  

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0


この本より。

「心の時代に」モノを売る方法と、
新興宗教の教祖が信者を集める方法って、
似ているような気がした。


本書より抜粋。

現代の消費者が喜んでお金を払う「価値」がある。
その「価値」を重視する消費者は年々増加し、それに該当する商品やサービスは、がぜんお金を支払いたいものとなる。
その「価値」とは、「心の豊かさ」と「毎日の精神的充足感」である。p39


現代の消費者の欲求も(そして今後の欲求も)実に明快だ。
それはたったひとつ、「心の豊かさを求め、毎日の生活を精神的に充実させ楽しみたい」のである。p43


満たされない心を満たしてくれるものを買うということで、
満たされない心は、買ったことで少し満たされるけど、
いずれまた飢えてしまって、
再び、満たされることを求めて買うわけだ。

そして、
テレビなんかのコマーシャルでは、
あなたは足りてないよ、足りてないよって、
って、あおるのだ。

心の豊かさを求める消費に対しては、

心のスキマをお埋めしましょうか?

って、
黒い服を着た人が寄り添ってくるのだ。

なのでモノを売りたい場合は、
相手の心のスキマについて考える必要があるのだな。



自分の慣れ親しんだ方法や判断基準で解釈不能なものが出てくると、それを判断したり解釈しようとしたりしない。極端な言い方をすれば、なかったことにしてしまうこともあるのである。p72

限定合理性は、あらゆる意思決定の状況に影響を及ぼすが、とくにダイナミックなシステムでは影響が深刻である。実際のところ、ダイナミックな複雑性がそれほど大きくないシステムであっても、かなりお粗末な意思決定をしていることが実証研究から明らかになっている。(中略)人々は概して因果関係を出来事の連鎖による直線的な見方をし、フィードバック・プロセスを無視し、行動と反応の間の時間的遅れを正しく認識できない。p81

私たちは、自分の仮説や見解を人前で検証することを避け、人から切りこまれそうな話を避ける。そして何より、防衛的な行動に依って、防御姿勢を隠すとともに、全員が問題の存在を知っていてもそれを論じようとしなくなる。p84

スターマン氏は習慣的な防御行動が「集団思考」を生むことも多いとし、集団思考によってメンバーが持っている考えを互いに強め合い、意思の相違を抑え、異なる考えや反証となり得る証拠を持つ他者との関係を断ってしまうと述べる。p84

この部分は、
人考えはそれほど深く働かないし、
自分に都合の悪いことや自分たちに都合の悪いことには、
目を向けなかったり、なかったことにしようとしたりする傾向がある、
といことだと思う。

それは確かにそうだなと思った。



新しい消費社会では新しい原理が働く。
それはたとえば山崎氏によれば、「交換はその起源である無償の互酬の名残をとどめ、常に需要のないところに新しく需要を作り出さねばならない」「商人はめぐりあった消費者に商品の物語を説き、その心を魅惑する会話の成功とともに需要を創造」するというものだが、これは重要な着目点だ。p90


「商人はめぐりあった消費者に商品の物語を説き、その心を魅惑する会話の成功とともに需要を創造」する
というのは、
今だと、CMや広告のことなんだろう。



「社交の場での能力」について山崎氏が述べている次の文章が、社交の消費を理解する、ひいては鍋や柔軟剤についてその飾り具合を見せあい、評し合う彼女たちの理解の一助になるだろう。
氏は、そもそも社交の場での能力は微妙なもので、「ゲームを楽しむとすれば勝つことだけが能力ではなく、負けっぷりのよさも能力として評価される」「冗談を連発して機知を発揮するのも能力だが、他人に発言の機会を譲って微笑んでいられるのも能力」としている。p108


この部分については、
面白い見方だなと思った。

他人に発言の機会を譲って微笑んでいられるのも能力、
という能力については、
思いもよらなかった。

例えば、
親として子供と接する時には、
ついつい、
ゲームに勝つことばかりを見てしまう。

それが、
他人に発言の機会を譲って微笑んでいられるのも能力、
という視点で子供をみてみると、
ゲームに勝つ能力がなくとも、
ほかにいろんな能力を持っていることが見えてくる。

そういう見方が、
子供一人一人の個性を見るということなのかなと思った。



ここで評価の尺度になるのは参加者の相互の満足であり、計られるのは各人が自己を表現する能力と、逆に他人の表現を理解し賞味する能力なのである。
こうした能力が心身のなかに習慣化され、それがたえず発揮されうる場所を求め、かつて発揮された場所に回帰しようとするとき、そこに社交仲間の関係が生まれる。たんに人が集まりたいと願うからでなく、彼らの社交能力そのものが鬱勃として求めるとき、そのための場所として社交界が生まれる。p109


ここに、鍋や柔軟剤を飾り、それを見せ合って盛り上がる消費者が何であるかを、垣間見ることができる。
これからのビジネスが、こういった機会をいかに提供できるか。自社の商品やサービスを消費することが、消費者にとっていかに社交と重なり合うことができるか。
新しい消費社会ではそれが期待されているのだし、その期待に応えることは、あなたが営むビジネスの支持を約束するものだろう。p109


今日の消費者は、人と人とのつながりを強く求めている。p110

自分以外の誰かとより深くつながりたいというのは、
多くの人が持っている心のスキマだろうな。

いろいろなSNSが流行って、
電車に乗ると、乗客はみんなスマホの画面を見つめている。

そういうのが、
人と人とのつながりを強く求めているという表れなんだろう。







「今の消費者は、自分たちの気分をわかってくれていると感じたお店やブランドに全力で寄り添っていく」。p120

作り手や売り手に自分なりの考え、哲学、大切にしているものがあるとしよう。寝具店で言えば、「当店の考える正しい眠りとは何か」「なぜ人は正しい眠りをとらなければならないか」「眠りに最適の環境とはどんなものか」といった考え、思想、信条、ポリシーだ。もっとシンプルに、「オレたちの思う愉しい暮らしって、こんな感じだぜ」というものでもいい。
世界観とは、それらを包み込むものだ。p170


「どんなことが嬉しいか」をお客さんの側の受けとり方だとすれば、「世界観」とはこちらの側の見方だ。あえて同じ表現を使えば、「どんなことを嬉しいと感じてもらいたいか」ということになる。
世界観を売るには、まず売る側がその世界観を素晴らしいものだと感じていなければならない。p171


物語が売れる最大の要因は、世界観を知って共感したお客さんがその世界の住人になることで精神的充足を得られるからである。
世界観を備えたビジネスの周りには必然的にたくさんの物語がある。だからいくらでも語ることができる。自分たちが信じる世界を語っているのだから、物語は必然的に付随する。
「物語があると売れる」と言われて、それをねつ造するとしよう。まことしやかに整えて発信しても、世界観の根っこがないから通用しないはずだ。一時的には通用しても、底が浅いからすぐにばれてしまう。設定の甘い小説のようなもので、実際お客さんがその世界に入った途端に「なんだ、中身がスカスカじゃないか」と失望される。このようなやり方は本末転倒だ。p176


ここで言われていることも、その通りだなとは思うけど、
突き詰めてしまえば、
宗教になるような気がした。

まず教祖の世界観が強烈にあって、
その世界観に感化された人が寄り添っていく。

それと似たような感じで、
心の時代にモノを売るためには、
自分の信じたものの世界観を、突き詰めて考え抜く必要があるのだろう。






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「心の時代に」モノを売る方法 小阪 裕司 読んだ本のまとめ /BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる