広告の天才たちが気づいている51の法則 ロイ・H. ウィリアムズ
かなり前に古本で買って、
読んでいなかった本。
広告という方法に限らず、
人に何かを伝えようとするときには、
参考になるところがあるなと思った。
参考になったとおもうところ。
顧客はこう言っている。
「僕と関係のある話をしてくれ。君の話は聞きたくない。僕にとって何かいいことがあるのか。時間を節約してくれるのか、儲けさせてくれるのか、人生の悩みを何とかしてくれるのか、それとも周りの人が僕のことをもっと尊敬するように仕向けてくれるのか。そうでないなら、ほっといてほしい。余計なお世話だ」p102
顧客の質問はただひとつ、「それによって私にどんないいことがあるのか」。顧客は顧客自身がわかることばを耳にしたときだけ、その話に耳を傾ける。p106
私は看護師なので、
この本の「顧客」という部分は、
「患者さん」と読み替えて読んだ。
広告マンにとっては、
広告によってお客さんの行動に影響を与えるのが目的なわけだけど、
看護師としても、
会話などによって患者さんの行動を変化させる必要があることもあるので、
共通する部分があるとおもう。
とくに上記の引用部分は、
看護師としても十分に考えさせられるところだった。
自分がなぜそれをしているのか完全に理解できないまま、人はいろいろなことをしている。したがって、人が自分のしたいことはこれだと言うときにも、他人がそれを完全に信用することはできない。p109
大抵の場合、
理由は後付け。
理由はひとつではなく、
いくつかある場合もあると思うし、
本人が言ったから正しいとも限らない。
そんな疑い深い考え方は、
看護師をやっていていっそう強化されたような気もする。
われわれが納得しやすいのはどちらかといえば、一般的に言って、他人が教えてくれた理屈よりも、自分自身で見つけ出した理屈のほうだ。―ブレイズ・パスカル p118
なので、
誰かが教えてくれたことでも、
もう一度自分で発見しなおす必要がある。
学んだことを自分で発見しなおすことで、
知識が知恵に変化する、
たぶん。
顧客自身が自分の頭の中で、そうした行動をとっているイメージを描けない限り、決して実際の行動には移さない。われわれは行動する前には必ず、そうしている自分の姿を思い浮かべるものだ。見込み客に、店まで足を運ぶイメージを描かせることこそ、広告にとっての最高のゴールだ。p148
患者さんにも、
自分自身の生活や健康について、
イメージしてもらう必要がある。
とくに、
見込み客に、店まで足を運ぶイメージを描かせることこそ、広告にとっての最高のゴールだ。
という部分は、
患者さんに、より健康的な生活をイメージしてもらうことこそ、看護師による健康指導の最高のゴールだ
と、
言い替えられないかなと。
きちんとした身なりをしていると、態度もきちんとなるはずだp159
まずは姿や形から。
入院して患者さんの服装になると、
わりと健康な人でも病人に見えてくる。
看護師としては、
その逆のことを考えないといけないのだろうけど。
人生はこだまのようなものだ。
われわれは自分が預けたものをそこから取り出す。そしてそれはこだまのように、預けた以上のものをわれわれに返してくれる。―ボリス・ラウア・レオナルディ p164
本当にそうだったらいいなとおもう。
私自身は、
まだなにも預けていないけど。
エジソンは書いている。
「ものを売るという芸術は、他のどんな芸術にも負けず劣らず、身につけるのが難しい。それぞれに適した流儀は、現実での数え切れないほどの試行錯誤によってはじめて身につけられる。そして、だれよりも多くの試行錯誤を重ねようと努力する人は、最後には、芸術の達人になれる」p192
この文のなかの「ものを売る」という部分も、
「看護」と言い替えてみる。
看護という芸術は、他のどんな芸術にも負けず劣らず、身につけるのが難しい。それぞれに適した流儀は、現実での数え切れないほどの試行錯誤によってはじめて身につけられる。そして、だれよりも多くの試行錯誤を重ねようと努力する人は、最後には、芸術の達人になれる。
どうかな?
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